花火史blog Written by 花火歴史家

歴史に関する記事一覧


歴史

「源平布引瀧」は、赤(源氏)と白(平氏)の紙を使った演出で、空中に紅白の流れを描く滝のような花火。 『技藝百科全書』(明治22年刊)には、その構造と注意点が詳細に記されています。 - Page 4

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「彩雲三つ玉」は、青・赤・黒などの色玉をそれぞれ1つずつ使用し、空に色彩豊かな雲を広げるような演出を行う花火です。 明治22年刊行の『技藝百科全書』には簡潔ながらもその魅力が詰まった記述があります。 - Page 4

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「夕立後の遊龍」は、雷鳴、雨、そしてぐるぐると回る龍を表現した花火です。 雷鳴の演出から始まり、白い煙が雨を想起させ、最後に黄色い龍が空中で回転するという構成。まさに物語のある花火と言えるでしょう。 - Page 4

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「柳に遅れ咲き」は、まず黄色い煙で柳のような火花を演出し、その煙が崩れはじめたタイミングで菊のような花火が開く仕掛けです。 緩やかな煙の軌道と、突如咲く火花との対比が美しい構成となっています。 - Page 4

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「國旗花火」は、祝典や祭礼の冒頭に昼間打ち上げる花火で、空に“日の丸”を現す仕掛け花火です。 明治22年に出版された『技藝百科全書』には、その製作方法が詳しく記載されています。 - Page 4

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明治22年に出版された「技芸百科全書」より抜粋して「早揚法(早打)」を紹介します。原文は文語体で書かれているので難解ですが明治時代の花火を知れる貴重な資料です。内容は「基本的な仕組みの説明」でした。実際に打ち揚げるには専門的な技術書が必要となります。 - Page 4

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どうしても気になったので調べました。1904年(明治36年)に11代目の鍵屋弥兵衛さんがフィリピンに行き、マニラでスターマインに出逢ったそうです。なぜフィリピンに行ったのか?フィリピンで何があったのか?について仮説を立てました。 - Page 4

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昭和の花火について調べました。戦前の花火は技術革新による発展を遂げました。戦時中の花火は戦争の激化に伴い制限され、終戦直後はGHQにより禁止。その後わずかな期間で復活できたのは、花火が伝統文化として根付いていたからです。 - Page 4

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大正時代の花火について調べました。大正になって新たに導入された金属粉により、花火の色彩が鮮やかになり輝きが増しました。また、花火史上に名を残す花火名人が全国各地に誕生しました。花火の歴史を調べている方はぜひご覧ください。 - Page 4

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明治時代の花火について調べました。明治の花火は、新たに輸入された薬品の使用により表現できる色が増えました。また、それまでの研究の成果が実を結び、丸い花火が登場した時代です。花火の歴史を調べている方はぜひご覧ください。 - Page 4