花火史blog Written by 花火歴史家

明治時代の百科事典から抜粋して「早揚法(早打)」を紹介します

歴史

明治22年に出版された「技芸百科全書」より抜粋して「早揚法(早打)」を紹介します。原文は文語体で書かれているので難解ですが明治時代の花火を知れる貴重な資料です。内容は「基本的な仕組みの説明」でした。実際に打ち揚げるには専門的な技術書が必要となります。

こんにちは。花火歴史家です。
花火の歴史を調べています。

この記事の内容は、
「明治時代の早打」
についてです。

タイトル 明治時代の百科事典から抜粋して「早揚法(早打)」を紹介します

今回は、
「明治時代の花火に興味を持っている方」
に向けた記事になります。

この記事では、
「明治時代の百科事典で紹介された早揚法(早打)」
を読み解いてみました。

早揚法(早打)

原文の写真はこちら。

https://x.com/hanabi_history/status/1792648206062342275?t=4Lhmw6D_o_MtRhtDTgeEcA&s=19

「早揚法(はやあげほう)」(俗に早打と言う)

通常の煙火は口火管から火を付けて打ち上げますが、早揚という方法は落火(おちび)と言われる方法で火を付けます。

通常の落火(おちび)は玉の上から火を落としますが、早揚では始めに蝋火(ろうび)を投げ入れておき、その上から玉を入れます。

このように言うと読む人は不思議に感じるでしょう。

どうすれば火を入れたあとに玉を投げ入れればその玉が空中に発射できるのだろうか?

一般の人が何かの間違いではないかと思うのは当然のことです。

今からその早揚の方法を明らかに示します

早揚法を行うにはまずその玉に仕掛をします。

早揚用の伝火管は一般的な暗伝火管(あんでんかかん)と同じく、横にして内部に伝火する様に作ります。

そして早揚法では筒に打揚火薬を投入することはせずに、花火玉の頭部に紙袋を付け、その中に打揚火薬を入れます。

この時、伝火管は花火玉頭部の紙袋の中にあるようにします。

その打揚薬を包む紙袋は、硝石を揉み込んでおきます。

また、その紙袋の上には大きな誘火紙を貼ります。

以上の様な細工をするので、先に筒の中に火を置き、玉がその火に達すると、玉底に付いている打揚薬は通常の打揚と同じ効果を発揮します。

このように、打揚までの手数が少なくなるので、通常の打揚よりも数倍早く揚げることができるのです。

用語について

口火管
・落火(おちび)の説明から、筒側面の下部にある点火口のことを口火管と呼んでいたのではないかと推測。
・人の背丈よりも長い木筒では、筒側面の下部に点火用の穴を開けてある筒があります。

蠟火(ろうび)
・蠟火と呼ばれる花火を打ち揚げるための火種。
・現代でも直接点火と呼ばれる花火の打ち揚げに使用する火種(火薬)の事を「ロービ」と呼び、花火打ち揚げ筒に投げ入れて使用することがあるようです。
・蠟の略字が蝋燭(ろうそく)の蝋。
・蝋を使った火薬だからな蠟火と呼んだのか?蝋燭のように長く燃える火薬だから蠟火と呼んだのか?
・蠟火が火薬であれば同年代の配合表に「蠟火」として配合比が記載されているかも。

暗傳火管
・傳の略字が伝。伝火管のこと。
・暗傳火管があるということは明傳火管も存在していそうですが手掛かりなしでした。

誘火紙
・燃えやすいように手を加えた紙と推測。
・江戸時代の火起こしに使われていた火口(ほくち)に「誘火綿」と呼ばれる燃えやすいように手を加えた綿があったそうです。

疑問

疑問①
「早揚用の特別な筒を使っていた?」

早揚専用の特別な筒を使っていたのかどうかはわかりませんでしたが、木筒を使用していたらしいということがわかりました。

鉄筒は大正10年頃から使用されていたそうなので、技芸百科全書が出版された明治22年頃は木筒が使用されていたということになります。

https://x.com/hanabi_history/status/1797720991990476955?t=UXdYP1-5dNqAGXMsZt0oFA&s=19

縦2分割になっている木筒は使用前に1週間くらい水に浸けて水分を含ませると聞いたことがあります。
しっかりと水分を吸わせたら水から出し、表面が乾いたら2つを合わせて竹のタガを巻いて使用する。
木が水分を含みふやけることで合わせ目がしっかりと閉じると教わりました。

疑問②
「木筒で何発まで打ち揚げていた?」

花火大会の番付が残っていれば載っているかもしれませんが、サッと出てきたのはコレです。

https://x.com/hanabi_history/status/1732704416762114265?t=jP3MKO4eTnP5yg9XIBvuJA&s=19

1932年 昭和3年の記録ですが「速射が早打ちの名称に変わり」との記載があります。
速射が早揚法のことだとすると、

https://x.com/hanabi_history/status/1724343461217013889?t=L4of3DxUB-zytvzdTJ7FaQ&s=19

1887年 明治20年 4寸100発!

https://x.com/hanabi_history/status/1727247980305211748?t=jD2mS36-JHHnqnZAYKg3Yg&s=19

1905年 明治38年 5分間に50発!

「1本の木筒でそこまで打てるんだ!」と驚きましたが、
「1本の木筒で打ち上げた」とはどこにも書いてありませんね。

何発まで打ち揚げていたと思いますか?

疑問③
「現代の早打は?」

現代の早打も火種となる物を先に入れておき、次に打揚火薬を取り付けた花火玉を入れているようです。

仕組みは当時の早揚法と同じですね。

当時と違うのは次の2点。
・「焼いた鉄」(焼き金)を火種にしている
・「鉄製の筒」を打ち揚げに使用している

鉄製の筒を使用しているので打ち揚げる玉数は当時より多そうですが、何発打てるのかはわかりませんでした。

まとめ

「いつも口火管から点火している皆様へ。早打ちって聞いたことある人もいると思うけど、どうなってるかよくわからないよね。この本では俗に「早打ち」と言われている点火方法を説明するよ。」
という書き出しになっていることから、
明治22年頃には「早揚法(早打)」を見たり聞いたりする機会が増え、一般的になってきていたということだと思います。

「花火玉に打揚火薬を貼り付ける」とか「蠟火を先に投げ入れる」というアイデアは「秘技・秘法」ともとれるので、
「百科事典に載せちゃっていいの?」と驚きもありましたが、百科事典に載るほどに人々の興味関心があったということですね。

連続して打ち揚げられる花火は大勢の人を魅了したことでしょう。

最後に。
この記事をきっかけに、花火に興味を持ってくれる人が増えることを願って。