【花火の進化】大正時代の花火を調べてみました【花火名人の登場】
大正時代の花火について調べました。大正になって新たに導入された金属粉により、花火の色彩が鮮やかになり輝きが増しました。また、花火史上に名を残す花火名人が全国各地に誕生しました。花火の歴史を調べている方はぜひご覧ください。
こんにちは。花火歴史家です。
30冊以上の書籍から花火の歴史を調べました。
本記事は、
「大正時代の花火を調べてみた」
という内容になります。
【花火の進化】大正時代の花火を調べてみました【花火名人の登場】
今回は、
「大正時代の花火ってどんな花火?」
「大正時代の花火師ってどんな人?」
という疑問を持っている方に向けた記事になります。
この記事では、
・大正時代の花火の輝き
・大正時代の花火名人
について説明しています。
大正時代の花火の輝き
✓結論
大正時代になって新たに導入された金属粉により、花火の色彩が鮮やかになり輝きが増しました。
✓理由
なぜかというと、導入された金属粉により火薬の燃焼温度が上昇したからです。
燃焼温度の上昇は炎色剤の燃焼を促進させると共に強い光を発し、光沢のある美しい花火を実現させました。
✓具体例
実際に導入されたのはマグネシウムやアルミニウムなどの金属粉です。
これらの金属粉が導入され燃焼温度が高くなった日本の花火は、当時のヨーロッパなどの花火よりも色鮮やかに夜空でクッキリ見えたといわれています。
✓補足
「江戸時代から使われていた鉄粉も金属粉では?」という疑問について補足します。
鉄粉は確かに金属粉です。
でも、マグネシウムやアルミニウムとは違う使われ方をしています。
・鉄粉
鉄粉は熱せられて自らが火花となり、目に見える火花を演出するために使用されています。なので「火花剤」と呼ばれています。
・マグネシウム
マグネシウムは燃焼してとても明るく光ります。強い光を発するので「発光剤」と呼ばれています。
・アルミニウム
アルミニウムは粒の大きさによって使い分けられています。
粒の荒いアルミニウムは火花を演出する「火花剤」に。粒の細かいアルミニウムは強い光を発するので「発光剤」として使用されています。
まとめるとこんな感じでしょうか。
「江戸時代から使用されていた鉄粉とは別の金属粉の導入により、輝きのある美しい花火に進化しました」
✓まとめ
明治時代に基礎的な薬品が輸入されたのに続いて次々と新しい薬品が導入され、大正時代の日本の花火は一段と進化しました。
発光剤としてマグネシウムやアルミニウムなどの金属粉が取り入れられるようになり、日本の花火は当時のヨーロッパなどよりも鮮やかで輝きのある美しい花火だったそうです。
この金属粉の導入によって燃焼温度は約3000℃にまで上昇したそうで、現代の高度に進歩した花火の基礎はこの時代にすでに完成していました。
大正時代の花火名人
✓結論
大正から昭和にかけては日本の花火が大きく発展した時期であり、花火作りに没頭して花火史上に名を残す花火名人が全国各地に誕生しました。
✓理由
この時期の花火師たちは、他の花火師には絶対に造り出せない独自性を自分の花火に盛り込むことに努力しました。その努力の結果が名人と言われる花火師の誕生につながります。
✓具体例
大正時代の花火名人は、長野県の青木儀作氏や滋賀県の廣岡幸太郎氏などです。
✓補足
大正時代は全国各地でたくさんの競技会が開かれていたそうです。
花火師たちは全国各地で花火の競技会に参加することで、自分の技術を磨きながら他の花火師と切磋琢磨する貴重な場としていたようです。
こうして数多く開かれた競技会は花火の普及にも大きく貢献したと言われています。
✓まとめ
大正から昭和にかけて全国各地で名人花火師が次々と現れ花火史に名を刻みました。
競技会が全国で盛んに開催され、腕に覚えのある花火師たちが技を競い合いました。
名人クラスの花火師は得意とする花火の秘密を絶対に明かさない、秘密主義の世界が花火師たちの中で広がっていました。
本文は以上となります。
今回は、「大正時代の花火を調べてみた」という内容で記事を書いてみました。
大正時代の庶民の生活は、近代的な消費文化の普及や交通・通信の近代化によって大きく変化しました。娯楽や文化への関心が高まり、近代的な消費生活が形成され、世界との交流が拡大しました。
生活様式が大きく変わる中でも花火師たちは黙々と研究を続けていたんですね。その探求心から生まれた技術は現代の花火を支えています。
最後に。
この記事をきっかけに、花火に興味を持ってくれる人が増えることを願って。